三皇熊野神社

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本宮   旧三皇神社  鎮座地 秋田市牛島西3丁目10−11
                                           (旧 牛島竹原道下) 
  
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本宮社殿《御由緒など》
創立年月日不詳なれども、再建は桓武天皇の延暦年間(延暦23年 804年頃)征夷大将軍坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が竹原三光の神に祈誓して高清水の丘に向って矢を放ったと言われており、賊を討った報賽として社殿を再建したという。
境内には田村麻呂将軍の杖に根がついたと言うブナの大木があり、戦前まで、地上八尺位の所から、こんこんと水が流れ、『霊水の大木』といわれ、霊水は眼病に効くと言われていた。
 また、現在は枯れてしまったが、田村麻呂将軍の弓の弦を掛けたと言う松が、『弦かけの松』と言われ、参道中央にあったことが知られている。
 慶長5年(1600)に本宮の御分霊を受け、熊野神社(現在の里宮)が遷座される。
江戸時代以前より三光大神として『日・月・星』をお祀りする神社と言われており、『六郷郡邑記』享保15年(1730)には、当社は「三光宮」との記述があり、また菅江真澄の『遊覧記』文化12年(1815)にも、「竹原三光宮トテ日月星ヲ斎クニヤ云々」と記述されいる。
 ちょうど当社は、秋田藩主、佐竹氏の久保田城より南西の裏鬼門の方角にあたり、また牛島は参勤交代で江戸にむかうための交通の要でもあり、秋田藩主、佐竹氏の五本骨月扇紋が付された文久年間(1861〜1864)に制作された獅子頭《猿田彦大神として奉齋された》が伝わっている。
 他にも江戸時代後期に奉納された狛犬《嘉永7年(1854)》、御神鏡《安政2年(1855)》、手水鉢《文久2年(1862)》、三皇大神宮の碑《元冶元年(1864)》がある。
 安政2年の御神鏡には、『竹原三皇宮』と始めて三皇という名称が記されており、この当時に、三光から三皇という社名に推移したものと伺われる。
 明治7年村社に、明治33年(1900)に本殿と拝殿が再建された。
旧社殿 昭和2年の写真明治41年(1908)日神饌幣帛料供進神社に指定される。
明治44年(1910)、大野中道上段無格社八幡神社を合祀。
明治44年、古川端無格社神明社、同年村社熊野神社(現在の里宮)を合祀し、
三皇熊野神社と名称が変わる。
昭和48年(1973)に幣殿を増改築。
平成5年(1993)に本宮社務所を新築。
現在の社殿は平成16年(2004)に本宮御鎮座1200年、里宮御鎮座400年を記念し御社殿を全面改築、客殿を新築したものである。

 境内社として三皇稲荷神社をお祀りしている。
 尚、境内には、ぶな、けやき、えんじゅ、いちょう等の大樹に、元治元年(1864年)の三皇大神の碑をはじめ、保食神、安藤和風の句碑などあり、遠近の人々から三皇さん、竹原さんのもりとして親しまれている。

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