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里宮
旧熊野神社
鎮座地 秋田市牛島東2丁目2−36
《御由緒など》
明治時代の『羽陰温古誌(ういんおんこし)』に、弘化3(1846)年 社殿が消失とあり、
また、昭和5年の牛島の大火で、文献、史料は失われてしまったが、古くからの伝承によると
抑々(そもそも) 当里宮(旧熊野神社)は、現在の三皇熊野神社本宮(三皇神社)の合殿(あいどの)としてあったものが、慶長五(1600)年にこの地に遷座されたものである。
藩政期には、参勤交代で往還する羽州街道の久保田城下の入口の地をお守りする神社として、そして、牛島村の中心である旧下丁(しもちょう)の産土(うぶすな)様として、崇敬を集めた神社である。天明年間(1781〜89)には、如意(にょい)輪(りん)観音(かんのん)菩薩(ぼさつ)像(通称 メロリ観音)が安置され、伝應山(でんおうさん)熊野(くまの)権現(ごんげん)と称された。修験龍宝院が別当を務め、毎年、3月17日に観音の祭り、9月9日には熊野権現の祭りが斎行され、近郷近在から多くの参詣者で賑わっていたと伝わっている。
また、当里宮は、久保田三十三観音霊場の第七番札所のお堂と称されていた。息災、財、智等の諸願成就のお堂として久保田城下からも崇拝されていた。現在の社殿も当時のお堂の建築様式を受け継ぎ、神座を幣殿に置き、幣殿と拝殿が一体となった、本殿のない社殿となっている。明治になって神仏分離令により、観音菩薩像(通称 メロリ観音)は、近在の曹洞宗兜率山寶(ほう)袋院(たいん)に遷された。明治44(1911)年に三皇神社と合祀(ごうし)され、三皇熊野神社里宮(さとみや)として現在に至っている。
現在の社殿は、昭和55(1980)年、三皇神社と熊野神社が合祀されて70年を記念して建立されたものである。
当里宮には、秋田藩藩主佐竹家の家紋である五本骨月丸扇紋を額に付した獅子頭が、胴の内側に文化元(1804)年と墨書された胴くり抜き太鼓と共に所蔵されている。毎年寒中に行われる三皇熊野神社の獅子舞行事は令和3年3月に秋田市無形民俗文化財に指定された。
幣殿と拝殿が一体となった社殿で、幣殿に神座を設け、「お堂」と呼ばれた当時のように本殿がないのが特徴である。
平成12年、屋根銅板葺き替え
平成25年、改装工事完工
《社殿概要》 建坪 約100坪
千木内削 鰹木五本
屋根銅版葺き
朱塗りの両部鳥居
昭和63年(1988)(右)
御大典記念の狛犬
平成2年(1990)(上)
奥が里宮社殿
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